鹿児島市の飲食店が、店の入り口をバリアフリー化しました。
きっかけは、今は亡き車椅子の少女の、新聞投稿でした。
少女の願いに多くの人が応え、周りが変わりました。
鹿児島市泉町にある居酒屋「銀ノ虎」です。
2022年5月、店の入り口の階段を緩やかなスロープに変えました。
銀ノ虎・林栄二郎さん
「飲食店はコロナで大変な時期で金銭的余裕、経営的余裕がなかったので、いつかやろうという気持ちはあったんですけれど・・・」」
そんな林さんをすぐ行動に移させたのが、2022年2月に南日本新聞「若い目」に掲載された、当時中学3年生だった車椅子の少女の投稿です。
外食をしようと、祖母と一緒に出かけた際、店の入り口に段差があり、「スロープがないから行けないよ」と言われた時のことについて・・・
「私はみんなの迷惑なのかな」
「自由に好きなものが食べられなくて悔しい」
こう綴られています。
銀ノ虎・林栄二郎さん
「自分たちが当たり前に生活している中で、当たり前でない人たちがいて、『少しでも早くしないと』と思いまして」
新聞に投稿したのは、垂水市の宮迫千尋さんです。
宮迫さんは、この投稿から2カ月後の2022年4月、急病で亡くなりました。
高校の入学式からわずか4日後、15歳でした。
宮迫さんの母・美千代さん
「素直で人の気持ちを思う子だったんです。自分のことより人のことを心配してくれる子でした」
宮迫さんは、生後半年で脊髄性筋萎縮症と診断され、ずっと車椅子で生活してきました。
宮迫さんの母・美千代さん
「人によって様々で、背中が曲がっていったり指が変形したりする。筋力が下がっていって一定した場所でしか動けない。身の回りのことはできなくなって(という病気)」
そんな宮迫さんが楽しみにしていたのが家族との外食です。
しかし、行けるお店は限られていました。
宮迫さんの姉・佳代さん
「食べたいと思っていたものがあっても、入り口に段差があるから車椅子が入れないとか、店内が狭いから店員さんが『いいですよ』と言っても、こちらが肩身狭くて『いいです』って言ったり、事前に『あれ食べたいね、これ食べたいね』と話していても結局食べられないことが多かったので」
悔しかった思いを、文章にしたためました。
「千尋さんが小学部の時に作文で書いてバリアフリーになったところがあるのでご案内します」
こう話すのは宮迫さんを長年見守ってきた、鹿屋養護学校の西 育子教諭。
宮迫さんの訴えでバリアフリーになった場所が学校にもありました。
教室と廊下の間の扉の敷居の、小さな溝。
健常者には、何ともない小さな溝ですが、車椅子の人にとっては大きな障害です。
宮迫さんが作文に書いたことで、溝にはふたがかぶせられました。
鹿屋養護学校・西 育子教諭
「他の職員たちも思ってはいたけど、慣れてしまっているじゃないけど、何とかなっちゃうので、千尋さんのおかげでプレートがついて、いろんな先生が『千尋さんありがとうね』と言っていたのを覚えています」
声に出すことで、状況を変え続けてきた宮迫さん。
宮迫さんの姉・佳代さん
「妹のことを忘れてほしくないから妹が発信したことが誰かの心に響いてそれを実行に移してくれたということがうれしいですね。『思いが伝わっている人がちゃんといるよ』ということは、伝えてあげたいですね」
投稿は、こんな一文で締めくくられています。
「理解が深まると、私みたいに身体障がい者の人だけでなくさまざまな障がいのある人ももっと過ごしやすくなるのではないかと思っています(「障がい」はいずれも原文ママ)」
宮迫さんの思いは、形となって、これからも残り続けます。
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「私はみんなの迷惑なのかな」投稿2カ月後に急死した車椅子の少女 訴え続けたバリアフリーが実現【鹿児島発】
https://www.fnn.jp/articles/-/418085