8月15日は「終戦の日」です。被爆者として自らの体験を伝え続ける札幌の女性に次世代への思いを聞きました。
宮本須美子さん)
「たくさんの方が亡くなられて、我々は戦争の犠牲者の亡くなられた(方の)上に生かされているんだなということを忘れてはならない日なのかなと思っています」。
終戦の日、被爆者らが街ゆく人たちに配ったのは「赤紙」です。召集令状をイメージしたビラで、核兵器廃絶や戦争反対を訴えました。
北海道被爆者協会の一員として語り部活動を続ける宮本須美子さん(86)。7歳の時に長崎で被爆しました。原爆投下の瞬間は、爆心地からおよそ6km離れた自宅付近の防空壕に身を潜めていたといいます。
宮本須美子さん)
「何時間か防空壕で過ごしましたけれど、防空壕から出てきた時にはもうあたりが本当に薄暗いし、もう静かなんですね。何事が起こったのかなという感じで子ども心にね」。
幸いにもけがはなかったという宮本さん。3日後、疎開先の父親の実家に向かう際に歩いた爆心地の光景がいまも忘れられないと話します。
宮本須美子さん)
「もう一生懸命歩いてるので周囲というものが全く見えていなかったし、7歳とかそのくらいだから周囲がどうのというふうなものを全く見ませんでした。お水は飲んだけれど力尽きて重なって亡くなっている人たちがたくさんいた。その川の中にももうブクブクになって浮いてるという、それだけがずっと記憶の中にあるんです」。
多くの死体が焼かれる場所を通りながら、疎開先までの30キロに渡る道を2日間かけて歩きました。
宮本須美子さん)
「焼き場に行くと、ちょっと臭いがぐっとくるときがありますよね。それよりもっともっともう本当にお腹が、何も食べていなくてもパンパンになった記憶があって、最近はもう匂いを忘れましたけれど、原爆の8月6日頃になると何となくふうっと思い出してきたり、最近はもうありませんけどね」。
宮本さんの語り部活動の拠点である札幌の北海道ノーモア・ヒバクシャ会館。運営する北海道被爆者協会は今年度いっぱいでの解散が決まっています。
高齢化により被爆体験を伝えられる人が減り続けるいま。核兵器のない世界を実現するため、宮本さんは「命ある限り自らの体験を伝え続けていく」と話します。
宮本須美子さん)
「被爆者なので、3月に(北海道被爆者協会は)解散するけど後を継ぐ人はいるし我々も続けます。やはり戦争は絶対に良いということはありえないので若い人にも関心をもっていただいて。ずっとずっと平和でいてほしいな」。
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