『新約聖書』の中のユダヤ教の一党派。パリサイという名には「分離された者」の意味がある。パリサイ人は,モーセの律法に厳格に従っていることと,異邦人とかかわりのあることをすべて避けていることを誇りとしていた。彼らは死後の生活や復活,天使と霊の存在を信じていた。また,口伝律法と伝承も,成文化された律法と同等の重要性を持つと信じていた。彼らの教えは宗教を規則の遵守という枠に押し込め,霊的慢心を助長した。そしてパリサイ人によって,多くのユダヤ人がキリストと福音に対して疑いを抱くようになった。マタイ23章;マルコ7:1-23;ルカ11:37-44に記されているように,主はパリサイ人とその行いとを非難された。
『キリスト教綱要』(キリストきょうこうよう、羅: Christianae Religionis Institutio)は、ジャン・カルヴァンの主著。
プロテスタント神学の最初の組織神学書である。1536年3月にバーゼルにおいてラテン語で執筆された。その後5度に渡って改訂増補され、1559年に出版された第5版が最終版となった。後世、この版をもって各国語に翻訳されてきたため決定版と呼ばれることもある。なお、初版本を除き、カルヴァンは『綱要』ラテン語版を出版すると必ずその後フランス語版を出版した。最終版のフランス語版は1560年に出版されている。
概要
『綱要』初版の序文にはプロテスタントを迫害したフランソワ1世への献呈の辞が長文で現されている。初版本では、最初はロマ書講解の形をとっていたが、やがて、十戒、使徒信条、主の祈り、礼典、教会規定などの解説がつけられて、使徒信条の項目、神、キリスト、聖霊、教会などの主題にまとめられた。なおこの変化は、ルターの「小教理問答」の枠組みを借りて書き上げられた初版本が、その後カルヴァン独自の神学の形成に伴って次第に変化していったもので、喩えて言えば、ルター主義的な「律法から福音へ」が「福音から律法へ」と変化したことを示しているとされる。
カルヴァンが『綱要』を執筆した目的は聖書に対する神学的な手引きであり、特に、改革派教会の神学的基礎を記している。その中心的な思想は、「神の権威と聖書における唯一の啓示」の主張(一般に「神中心主義」としてまとめられる)である。
アリスター・マクグラスは、この本が「中世の聖書解釈の複雑な枠組みを必要ないものにしてしまった。」としている。[1]
スタンフォード・リードは「クリスチャニティ・トゥディ」宗教改革記念号(1965年)の論文「ペンテコステ以後最大のリバイバル」で、宗教改革以後に宗教改革ほどのリバイバルが起っていないと指摘しており、その理由として宗教改革の中心には教理があり、宗教改革の前進に強く作用したのは『キリスト教綱要』であったとしている[2]。