0:00 ダイジェスト
0:22 チェルノブイリ原発ツアーとは
1:05 チェルノブイリ原発ツアー開始
1:41 チェルノブイリ30㎞検問所
2:56 ザリッシ村
4:00 チェルノブイリ10㎞検問所
4:30 軍事基地 DUGA-1 Radar Tower
5:39 幼稚園
6:49 プリピャチ市(Prypiat)
7:29 プリピャチ遊園地
8:01 学校
8:51 サッカー場
9:03 野生のキツネ
9:18 高層マンションの屋上
10:24 チェルノブイリ原子力発電所、4号炉
11:27 被ばく検査&食堂
12:01 原発大爆発の壁画
12:30 原発ツアー終了
地球の国全部行く!
1986年4月26日深夜1時過ぎ、旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所にて、事故により4号炉が爆発しました。
次の日、住民5万人がキエフに避難し、36年経った今でも立ち入り禁止、周辺はゴーストタウンになっております。
2019年アメリカHBOテレビのドラマ「チェルノブイリ」が放送され、以降観光客の人気スポットとなっており、年間10万人もの方が見学に訪れています。
私はドラマが放送される、かなり前の2015年、日帰りの現地ツアーに参加しましたのでその時の様子をお伝えします。ではどうぞ!
1.キエフ中心部、朝8時スタート
Chernoboyl Tourという現地ツアーに参加しました。日帰りツアーは一人100ユーロ。
朝8時キエフ中央駅近くに集合。この日の参加者は10名ほど、英語が堪能な美人ガイドが同行しました。
彼女に話を聞くと、私はこの仕事に誇りを持っていて毎日非常に充実していて楽しいとのこと。
キエフから北に130㎞、車で3時間弱で、チェルノブイリから30㎞圏内の検問所に到着しました。
2.チェルノブイリ30㎞検問所
パスポートを提出して検査を受けます。検査を待つ間、何があっても文句を言いませんという誓約書にサインしました。
そして今日訪問する場所や注意事項についてガイドによる説明です。
-ここから先は18歳未満立ち入り禁止
-放射線物質が肌に付着しないように、長袖、長ズボン着用、そして歩きやすい靴を履くこと
-除染されていない場所も多いため、単独行動は禁止
-放射線物質を多く含んでいるため、コケを踏まないように、また屋外のものに触らないようにとのこと
オプションで、放射線測定器ガイガーカウンターを1日借りました(10ユーロ)。これを使って、放射線量を確認しながら、注意して進みました。
ちなみに放射線は宇宙から常に降り注いでいるので、通常、例えば東京でも0.1~0.2uSV程度はあります。
30㎞検問所付近では0.13uSVと低い値でした。
3.ザリッシ村(Zalissya):
車で15分ほど北に進むと、ザリッシ村という小さな村に到着しました。
車を降りて散策。事故から30年以上放置されているので、緑いっぱい、自然あふれる感じです。
まずは放置された家、商店などを見て回りました。
天井や床が抜け落ちていて廃墟という感じ。
これでもまだ軽い方で、この後原発に近づくともっとエグイ映像が出てきますので要注意です。
ザリッシ村にはなんと今でも15人ほどが住んでいます。
事故当初は全員キエフに避難しましたが、故郷でまた暮らしたいと、自らの意思で立ち入り禁止区域に戻ってきた人たちです。
そういう人たちのことをサマショールと呼びます。
この女性もサマショールの一人で、電気、ガス、水道、電話などインフラは全くない中、自給自足で暮らしています。
贅沢なことはできないけど、生まれ故郷で暮らせて幸せと笑顔で答えてくれたのが印象的でした。
4.チェルノブイリ10㎞検問所
2つ目の検問所、ここから先はチェルノブイリ原発から10㎞圏内となります。
放射線量は0.19uSVと低いですね。
こちらは、リクビダートル記念碑。事故後、ソ連全国から多くの人々が派遣され、消火活動や、除染作業を行いました。
彼らはリクビダートルと呼ばれ、英雄として記念碑が作られました。多くの方が被ばくして亡くなりました。
5.軍事基地(DUGA-1 Radar Tower)
旧ソ連のトレードマーク、星印の門の中に入ると・・・ここから先は旧ソ連軍の施設です。
この巨大なものは何でしょうか?
高さ150m、長さ460m、これは旧ソ連軍のレーダーシステム、電波塔です。
当時ソ連軍によりヨーロッパ各地に電波妨害などの攻撃を行っていたようです。
地図にも載っていない、極秘施設。私はこのような巨大な電波塔を見たことがなく、圧倒されました。
今はもう使われておりませんが、40年も前に巨額の費用をかけて作り上げた旧ソ連軍、不気味ですね。
こちらは電波塔に関連した建物の内部。かなり先まで廊下が続きます。所々穴があいていて、落ちたら大けが、死ぬかも。
最初に誓約書にサインしたので、何があっても文句言えないので怖いですね。
建物の外には、当時使われていたコンピュータなどの残骸が・・・何十年も雨ざらしになっています。
この古いコンピュータが時代を表していて、より不気味な感じがしました。
6.幼稚園
森の中を進むと・・・この辺りは除染がされておらず、放射線量は1.8uSV、通常の10倍以上の値です。
さらにガイドさんが、このコケは絶対に踏まないで!と強い口調で説明した場所は、なんと7.14uSVと通常の50倍以上の放射線量です。
これは非常に危険です。
この建物は何かというと・・・なんとここは幼稚園です。
中に入ってみましょう。
30年以上経って廃墟になっていますが、絵本、人形、ベッドなど、当時の様子がわかります。
なんとも言えない不思議な感じがしました。というのも、子供たちの遊び道具の残骸を見て、悲しい気持ちになったのですが、よく考えると、ここで殺人事件や事故が起きたわけではありません。
ここで怪我をしたり亡くなったりしたわけではないのです。
突然の原発事故で避難して二度と戻ってこれず、このような状況になりました。
でも避難した子供たちの多くは事故で漏れた放射能の影響で病気になったり亡くなったりして・・・そう考えると悲しくなりました。
7.プリピャチ市(Prypiat):5㎞圏内、ソ連時代の雰囲気1970年に建設
さて、ここからは、チェルノブイリ原発の5㎞圏内、プリピャチ市(Prypiat)に入ります。
この町は1970年、チェルノブイリ原発で働く人たちのために作られた町です。
ソ連が巨額を投じて作った街で、最先端の技術を使った施設、食料も豊富で当時はあこがれの街でした。
当時の人口は5万人、ほとんどが原発従事者で、給料はソ連の一般労働者の4倍と高額でした。
多くの若者たちが志願してやってきたため、住民の平均年齢は30歳未満と非常に若かったそうです。
(こちらは旧ソ連が作ったプリピャチ市のイメージビデオ。多くの若者があこがれてやってきたのです)
●プリピャチ遊園地
1986年5月1日にオープン予定だった遊園地です。その5日前の4月26日に原発事故が発生。
そのため一度も市民に使われることはありませんでした。
廃墟になった観覧車、見ていると悲しい気持ちになりました。
こちらは子供たちが遊ぶはずだったカート、今から40年近く前としては最先端の遊園地でした。
これはチケット売り場、ガイドさんは除染してないので絶対に触るな!と注意してくれました。
●学校
こちらは学校、校舎の内部です。
急いで避難したので教科書が置かれたままです。
これは衝撃的、閲覧注意!大量のガスマスクです。
急いで準備したけど使われず放置されたようです。おびただしい数のガスマスク、見ていると怖くなりました。
事故後に誰かがやったのでしょうが、人形にガスマスクを着けています、
教室内部の様子。かなり大きな学校のようですね。
こちらは体育館。歩くと床が抜けそうで怖かった。
こちらは飛び込み台付きの温水プール。
当時としては最先端の設備でした。なんとこのプール、事故後も除染作業員のために10年ほど使用されていたとのことで驚きです。
●サッカー場
ここはサッカーグランドの観客席。かなり立派なスタジアムだったようです。グランドには木がたくさん生えていて、まるで森のようになっています。
●野生の狐に遭遇
なんとびっくり!野生のキツネに遭遇しました。
かなりやせこけたキツネですね。
お腹が空いているようで、かなり近づいてきました。
餌を食べてますが、もっと欲しそうでした。
●16階建て団地の屋上へ
ここはプリピャチ市の集合住宅、高層マンションです。
1970年に16階建てのマンションをたくさん建てているのはすごいですね。
最先端の施設をチェルノブイリ原発で働く労働者のために提供していたのがよくわかりました。
マンションの内部に入って、みんなで屋上まで登りました。当然電気は通ってないのでエレベーターは使えず。階段で16階の屋上まで登りました。
当時としてはモダンな、マンション、今は廃墟となっているので、階段で登るのも一苦労。残骸がたくさんあって、ちょっとでも転んだら大けがとなるでしょう。
さて、なんとか屋上まで登り切りました。
周りにはたくさんの団地、マンションが見えます。
そして先の方をよく見ると・・・チェルノブイリ原発が見えます!直線距離で4㎞くらい!アーチ状のものは建設中の石棺です。
あの石棺を「爆発した4号炉」に覆いかぶせるのです。
本当に近くに見えてびっくり。まさに原発の街ですね。
8.チェルノブイリ原発、4号炉そば
巨大な原発の施設を車から見ながら、最後にようやく、チェルノブイリ原発にやってきました。事故を起こした4号炉が目の前に見えます。
観光客が来れるのはここまで、ここから4号炉までわずか300mの距離です。
ガイガーカウンターを見ると、2.7uSVと通常の10倍以上の値でした。
かなり高い値ですが、ここに居たのはせいぜい15分間なので、放射能を浴びた量は大したことはありません。
チェルノブイリ原発は石棺(高さ110m、幅260m、長さ160m)と呼ばれるコンクリートの巨大な棺で完全に覆うという対応をしております。
コンクリートで覆えば、放射能漏れはほとんどありません。ただし廃炉はしないので核燃料はずっと残ることになります。
一方福島第一原発は、燃料デブリを全て取り除き廃炉作業を行っております。
ただしご存じの通り10年以上経ってもデブリをほとんど取り除けず、汚染水が増え続けています。
福島原発の廃炉はいつになるのでしょうか・・・
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