千葉県船橋市『意富比神社(船橋大神宮)』
“Oohijinja“ Funabashi Chiba
式内社で、旧社格は県社。
通称は船橋大神宮(ふなばしだいじんぐう)
延喜式では葛餝郡意富比神社の名称で登場する。
社伝では、景行天皇40年、日本武尊の東征の折に当地で東国平定の成就を祈願したのに始まると伝える。
当時、当地の住民は日照りに苦しんでおり、日本武尊があわせて祈雨を念じると、雨が降り出したとも伝える。
元々同社では地方の太陽神である「意富比神(大日神)」が祀られ、特に周辺(東京湾)の漁民の信仰を集めていた。国史の初見は『日本三代実録』の貞観5年(863年)5月26日条で、延喜式神名帳では小社に列している。
後にこの一帯が伊勢神宮に寄進されて御厨(夏見御厨。船橋御厨ともいう)となり、その守護として伊勢神宮の祭神である天照大神を祀る神明社が現在の夏見台の日枝神社に建立されたが、御厨の衰退とともに神明社も廃れ、意富比神社に合祀された。
その後、天照皇大神に対する信仰の方が強くなり、次第に意富比神社の社名は忘れられ、もっぱら船橋神明・船橋大神宮と呼ばれるようになった。
戦国時代までは、この地域で、勢力を保っていた千葉氏系の豪族富氏が宮司をつとめていた。現在でも千葉姓に改名し、同族が宮司をつとめている。
同神宮には中世の文書が多数保持されていたが、明治維新時に起きた戊辰戦争の船橋の戦いで社殿と共に焼失してしまい、現存しているのは、千葉満胤の書状や「船橋御厨六ケ郷田数之事」という応長年間の文書など数点のみである。
明治6年に本殿、明治22年には、拝殿を再建された。
明治5年(1872年)に県社に列格し、延喜式神名帳に記される意富比神社の名に復した。
朝廷・将軍家などから崇敬を受け、平将門、源頼朝、徳川家康などが社領の寄進や社殿の造営・改修をおこなった。神宮の境内にある常盤神社には家康の歯を納めた家康木造が安置されている。近代では明治天皇、大正天皇、昭和天皇などの歴代天皇も参拝に訪れている。
曲: Halcyon - Runaway (feat. Valentina Franco) [NCS Release])
音楽提供: NoCopyrightSounds
無料ダウンロード/ストリーム: http://ncs.io/Runaway
Watch: http://youtu.be/dML91GqvjSQ
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